
Dreamweaver UltraDeveloper(以下UltraDev)が発売になる。UltraDevとは、Dreamweaver4の拡張版でデータベースと連携し、Eビジネスをより具体化するものである。
IBMのテレビコマーシャルで、酒屋さんが「うちは世界中から注文を受けているんだ」ってあるでしょ。あんなイメージかな。通常、ああいったデータベースとの連携を行なって、さらにそれに伴うオリジナルのアプリケーションを作成するとなると、システム構築屋さんにごっつい金額をオーダーしないとアカンのです。それをUltraDevは市販アプリケーションレベルでやってのける…という、とんでもないソフトウェアなんです。
MacFanのサイトには、そのUltraDevのプレス発表があったニュースが掲載されている。
そのページの中に、マクロメディアの社長である手嶋雅夫さんが、代表取締役を退き、取締役顧問に就任した事が伝えてあった。ページを見てびっくりした。新しい社長は、あの坂口さんだ。マクロメディアという会社は、別名「手嶋組」と言われるくらい(笑)社長のカラーが強烈に出ている企業だと思う。今回は、僕の知っている手嶋さんについて書いてみたい。
●本音でユーザーにアプローチしてきた会社
僕がはじめて手嶋さんに会ったのは、ほぼ10年くらい前のことだ。当時の僕はデザイン事務所に勤めており、時期的に言うと日本のDTPの黎明期であった。当時はMacintoshみたいなオモチャがプロの現場で使えるかい!
…って感じで、そんな中で「新しもの好き」なクリエイターは、コンピュータで仕事をする…という事の希望に賭け、日々ポストスクリプトエラーと戦っていたのであった。僕なんぞは、デザイン会社なのに、自社でMacintoshはもちろん、ライノトロニックというイメージセッタまで購入して、毎日徹夜で出力を管理していた。
本当に日本語でDTPを行なう…ってことに無理があった時代だったと、いま振り返ってみても、そう思う。セスナ機で大平洋を横断するみたいな、そんなイメージを想像してほしい。マシンはもちろんソフトウェアも同じように貧弱な時代だった。当時の2大DTPソフトといえば、QuarkXPressとPageMaker。中でもカラーフィルムの出力に極端に弱かったのがPageMakerで、当時の出力に関係していた連中の悩みのタネであった。
そんな中で、PageMakerの発売元である「アルダス」が日本法人を作る…との話になり、その法人設立記念ということで、全国のサービスビューローや印刷屋、デザイナーを集めてセミナーとパーティが行われた。最初のセミナーが大阪で行われ、僕も自社内にイメージセッターがあったこともあり招待された。セミナー会場には、いつもの仕事仲間であるサービスビューローやデザイナーが徹夜で疲れた顔をして集まってきていた。
通常は、法人設立記念セミナーというと、晴れやかな場で、いかにもコンピュータ会社らしいメリットばかりのプレゼンテーションが行われるものなのだが、そのアルダス日本法人社長のオープニングスピーチは、自社製品(PageMaker)のメリットだけでなく、問題点も自身の口から語りはじめた。その時の社長が、手嶋雅夫さんだった。
当時はハードもソフトも問題だらけの時代で、その問題点をメーカーに問い合わせても、誰も明確な返答をしてくれない…って時代だった(もちろん今でもそんな会社は多い)。印刷物を作る…というドロ臭い仕事をしている我々には「所詮は外資系やのお…」みたいな風潮が蔓延していたのだが、アルダスは問題点を認め、それを現場の人間とメーカーが一緒になって解決していこう、という本音で我々にアプローチをしてきたのであった。セミナーではプロダクトマネージャだけでなく、プログラマまで表舞台に立ち、我々に紹介してくれた。
実際にそのセミナーでは、PageMakerに対する注文や問題点が、現場の日頃の鬱憤を晴らすかのようにアルダスのスタッフに向けられ、まさに集中砲火(笑)。かなり辛辣な発言も飛び交う中、すべての声に耳を傾けるアルダスという会社に対して、参加者は「PageMakerはあかんけど、アルダスって会社には期待でけるかもしれへんなあ」という印象を持った。
それから数年たち、僕は当時のDTPの問題点を解決するため、日本初のDTPの専門団体である関西DTP協会を神田さんらと設立した。アルダスはアドビと合併したため、手嶋さんはマクロメディアの日本法人を設立された。
さらに数年たち、阪神大震災をきっかけに僕はDTPをやめて、Webデザインを本業にした。マクロメディアもマルチメディア全盛期に方向をWebへシフトし、DreamweaverやFlashをリリースしはじめた。
2度目に手嶋さんにゆっくり会えたのは、その頃だった。当時の僕は関西DTP協会の会長を辞任し、タワーズという会社でWebコンテンツを製作していた。大阪で関西DTP協会のパーティがあり、そこでプレゼンをされる手嶋さんにインタビューを申し込んだ。ボク自身、仕事の現場がDTPからWebに変更した事もあり非常に密度の濃い話を聞く事ができた。
当時、Webデザインを本業にしていく…と宣言していた僕は、周囲からアホ扱いされていた。そんな貧弱な環境で仕事ができるの? そんな貧弱な表現でデザインって言えるの? そんな狭い業界で食っていけるの? まるでDTPの黎明期と同じ質問を周囲から受けた。
そんな中でインターネットでメシを食っていくと決意し、CD-ROM全盛期にマルチメディアビジネスに見切りを付けたマクロメディアの決意に、熱いものを感じて、自分の目指している方向は間違っていない…と確信した。
●ユーザーを大切にするということ
3度目に手嶋さんに会ったのは、今から3年前の夏。デジクリの読者の皆さんもご存じだと思うが、当時デジクリを発行していたタワーズという会社の突然の解散で、僕は職を失なった。同時に起ったプライベートな出来事もあり、2週間近く音信不通せざるを得ない状態が続いてしまったのである。その夏の終り、ようやく個人で活動を再開した時に、手嶋さんから一通の電子メールが届いた。
「色々大変だったと思います。活動を再開されて、多くの方が仕事を依頼されていることと思いますが、手嶋は一日森川さんに「食べて、飲んで、騒ぐ」ことを提案します」…と。夕方、手嶋さんと大阪で待ち合わせをして、その日は本当に御馳走になり、美味しいお酒をいただいた。
別れ際に、お礼を言い「…ところで、大阪には何の仕事で来られたんですか?」と聞いた。手嶋さんは「違うよ、これだけの為に来たんやで」とさらっと笑って答えてくれた。
言うまでもなく、手嶋さんはとても忙しい人だ。仕事で大阪に来る事も多い。僕はすっかり何かのスケジュールに合わせて御馳走してくれたのだと思っていた。考えてみれば、僕と手嶋さんの間には何の仕事のやりとりもなく、当時の僕は単なるマクロメディア製品のいちユーザーであったのだ。最後のコトバにとても感激してクラクラしたのを覚えている。
そうそう、そのお酒を飲んでいる時に「なんで僕なんかに、こんなにしてくれるのですか?」と聞いた。手嶋さんは「我々はユーザーあっての会社だから、熱心なユーザーを大切にするのは当然のことだ」と笑っていた。僕は翌日から、取りかかっていた初の解説本執筆にさらに力を注ぎ、その年の末、Fireworksの書籍を出版することができた。
ユーザーを大切にする…ってのは本当にマクロメディアという会社の姿勢でもある。あの会社は本当にユーザーの意見に耳を貸し、それをちゃんと製品に反映してくれる。だから僕達ユーザーも、必死になってソフトウェアを理解し、それをビジネスに活かせるように頑張る。結果として多くのファンを獲得しているのは、単に製品が素晴らしいというだけではないと思う。
マクロメディア製品を使って活躍しているパワーユーザーをイメージして欲しい。Director、Flash、Fireworks、Dreamweaver…多くの著名なクリエイターは、「単に仕事で製品を使っている」という意識以上にマクロメディア製品に対して愛着を持っている。そして、その意識の最先端に手嶋さんがいる。
僕の知っている手嶋さんは、非常に仕事に厳しいひとだ。というか、とても美意識の高い人だと思う。自分の掲げたソフトウェア会社の形態を決して崩さない。今までに幾度かマクロメディアのセミナーに出演してきたが、楽屋でも手嶋さんはスルドイ突っ込みでスタッフに指示を出しておられる。ゆえにスタッフの皆さんも、とてもキビキビ動いておられる。
数年前にはじめてマクロメディア社を訪問して、社員数を聞いてびっくりしたことがある。「え?そんな少ない人数で、これだけのプロダクトを動かしているの?」って感じ。これ以上書くと、誉めてばかりの原稿になってキモチワルイので、この辺にしておこう(笑)
手嶋さんが社長から退いたのは、ユーザーとしては少し寂しい気がするが、後任の坂口さん(柴田さんも言っておられるが、とてもいいひと)なら安心だし(エラソーですいません)、基本はしっかり手嶋組なので、この土台をベースにさらにユーザーを驚かせてくれる会社になると思う。
マクロメディアは他の外資系コンピュータ関連会社の単なる日本法人とは違い、本当に日本でクリエイティブで金を稼ぐという意識をもったユーザーを大切にしてくれる。
手嶋さん、ありがとうございました。そして、おつかれさまでした。
※この原稿は日刊・デジタルクリエイターズに掲載したものです。
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