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1月15日・MACWORLD
Expo |
今年のMACWORLD
Expoは中止らしい。とうとう、こうした時期を迎えたんだな…と思う。MACWORLD Expoについては随分前のコラムでも書いたけど、私にとっては特別なイベントだった。この業界に居たことのある人は、誰もがそう思っているだろう。年に一度、自分のポジションを確かめ、知人のポジションを確認するための同窓会的な意味合いも大きかったと思う。またひとつ幸福な時代が思いでとして保存されたような気がして、少し寂しい。
おそらく今回のMACWORLD Expoの中止は、今回だけのものではないだろうと思う。再び再開されたとしても、おそらく参加する側の人たちの意識は大きく変わるのではないか…と。何か大きな時代の節目をここでも感じている。
MACWORLD Expoが私たちにとって、特別なイベントと感じていたのは、おそらくMacintoshが持っていた不確定要素のせいだろう。特に第一回から五回目くらいまでのMACWORLD
Expoは刺激的だったように思う。Macintoshという「使えない」コンピュータが持っている巨大な夢。その夢の可能性を探る為に、あの時代を生きた多くの開発者やユーザーは必死になっていた。グラフィックにしろ音楽にしろ、映像にしろ…とにかく刺激的だった。MACWORLD
Expoはそういった刺激的な世界での「少し先の未来」を提案してくれたお祭りだった。
もはやコンピュータという道具は世間一般的に、特殊なものではない。しかし、わずか10年前のコンピュータってのは、完全に「趣味」の世界だったと思う。これで仕事をする…なんて言うと皆が笑った。「いつか本当にコンピュータで仕事ができるようになるといいね」…って。
2003年の今、コンピュータはすっかり仕事をする道具である。それどころか、各家庭にとって家電製品として普及が始まっているのである。テレビとかステレオとかゲーム機と同じか、それ以上の存在になろうとしている。そんな時代にとって、「少し先の未来」なんてどうでもいい時代になっているのかも知れない。それよりも確実に約束された未来を皆が欲しがっているように思う。
それはそれで、とても重要なことだ。
だがしかし、あの10年間「使えない」コンピュータに振り回されて、肉体も精神もボロボロになるまで頑張ってきた仲間達、戦士達の残したものは大きいと思う。少なくも私自身にとって、あの10年間の苦悩は単なる思い出なんかじゃなく、確実に「けいけんち」をアップさせたと思う。
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