森川眞行(もりかわまさゆき)は1958年大阪に生まれて大阪芸術大学美術学科彫塑専攻に籍を置くも彫刻作品はほとんどそっちのけでテント芝居の美術やったりミニコミ作ったり阿木譲さんとこのロックマガジンでレイアウトの手伝わせてもらったり、バンド結成して年間で36回もライブハウスに出演したりすることが忙しく卒業制作が半分も作れなかったので同級生には「おまえは絶対に卒業できない」と断言されたがなんとか奇跡的に卒業したが、バンドのことで頭がいっぱいで卒業後の就職のことを1 ミリも考えていなかったので、なんとなくレコード屋の店員になったが一日中立っているが辛いので座ってできる仕事に就こうと就職情報誌でデザイン事務所を探して就職したら給料が6万円だったので「なんのために大学まで行かせたのか」とおかんが泣いたけど、それでもデザイナーという丁稚奉公を受け入れ毎日終電車で帰る生活を2年間送った。その頃バンドは多重録音とかで継続してラジオでオンエアされたりコンテストに入賞したり…と二足の草鞋を悩みつつも26歳でフリーランスになり27歳でイキオイだけで株式会社を設立して代表取締役になったことでミュージシャンになることを諦めてデザイナーとして仕事をしていくことを決心した。
しかし作った会社はデザイン会社だったのだが、結局音楽に関わる仕事を取り入れてしまい趣味で本格的なミニコミを作ったりインディーズレーベルを主催したりしてオフィスにはいつも現代美術作家とパンクスが出入りしてて困った。そんな会社だから2年で倒産してしまい29歳で2000万円の借金を背負ってしまい早くも人生を諦めそうになったけど、とにかく借金返済しないとアカンので知り合いの紹介で写植会社のチーフデザイナーになった。その2ヶ月目に新大阪の交差点でヘッドハンティングされて大丸百貨店の通販のアートディレクターに採用された。3年間でファッション撮影中心のアートディレクションを行い最後はクリエイティブディレクターまで昇格しその年に結婚した。
ファッション写真の画像補正が目的でMacとPhotoshopを知り、当時日本に上陸したばかりのDTPに興味をもって社内にMac部門を立ち上げてリーダーになり仕事をコンピュータに変更したのですべてのスキルはリセットされ、カッターナイフとロットリングとトレスコを窓から捨てた。さらにデザイン会社なのにイメージセッターまで購入したので会社としてはシャッキントッシュ状態になった。当時はMacを使ってデザインすることは「まだ早すぎる、おまえは頭がおかしい」と言われつつもコンピュータでデザインすることは将来あたりまえになると信じていた。同じようにコンピュータに将来の夢や可能性を持っていた方々と知り合いMac業界でトモダチが沢山できた。だが肝心の会社が倒産して途方に暮れた。仕方が無いのでMacのDTPを本業にフリーランスになり「シリコンカフェ」を名乗り大阪市内にオフィスを借りてデザインやDTPの仕事を開始した。
フリーになって時間が増えたのでさらにMacを中心としたデザインや印刷の業界と交流が深まり新しい産業が産まれることにみんなで対応しないと…と考えていた仲間が集まり関西DTP協会が設立され初代会長に就任した。その頃からデザインやDTP以外に執筆や講演も行うようになって大阪市内に借りていたオフィスもISDNを使うことで仕事ができると解り芦屋の自宅に移転して「さあ!頑張るぞ」と思った矢先に阪神大震災に遭遇して芦屋の23階マンションは激震で仕事もマシンもぶっ壊れた。
関西DTP協会として被災者支援しようということになったが当の本人が被災者なので協会の会長を辞任して被災者のデジタル復興の企画書を書いたら通産省が採用してくれて1.7億円の予算を出してくれて「デジタル復興」を掲げて尼崎にディジタルクリエート工房という共同利用施設を作って自分もそこに入居したことを契機に仕事をDTPからウェブ(当時はホームページデザインと呼んでいた)に転向することを決めた。当時はウェブはカネにならないと言われていたので再び「頭がおかしい」と言われつつも、インターネットとウェブの未来のスゴい可能性を持っていることを信じて積極的に情報交換を続けるうちにウェブ業界でトモダチも沢山できた。かつ有り難いことに当時はホームページを作れるデザイナーが少なかったので個人なのに大手企業のウェブサイトを幾つか手掛ける事ができた。
当時は自宅と工房でネットを使って仕事をしていたので、日経新聞で日本のSOHO第一号として取り上げられ、さらにG-TOOLという素材集コンテンツを作ったら1日に10万ページビューして自分自身がびっくりこいた。これがインターネットのスゴさだと思った。けどDTP業界の人々は「商売道具のグラフィックを無料で配布するなんて頭がおかしい」と言った。
その工房を見学に来た米国アップルコンピュータの上級副社長に「クレイジー」と言われ、それは「頭がおかしい」という意味ではなく個人でサービスを開始したことを褒めているんだと説明してもらって嬉しかった。その後G-TOOLは店頭で販売するソフトになり4本のパッケージをリリースしたのをきっかけにソフトを販売してくれた会社が親会社になり新会社としてグラフィックサービスを展開する企画を持ちかけられ取締役で呼んでもらってG-TOOLを本格的にネットビジネスにしようとした。その時期に日刊デジタルクリエイターズというメールマガジンを創刊したら大反響があり驚いた。
その頃マクロメディアのソフト(現在はアドビ)であるFireworksのパブリックベータが公開されたので、勝手に世界で一番最初の解説コンテンツをウェブ上で公開したら米国のマクロメディアから2日後にメールがやってきてマクロメディアのカンファレンスに出演してくれと言われたことがきっかけで多くのセミナー出演を引き受けてウェブグラフィックの仕事を本格化させようと思った矢先に肝心の親会社が倒産したのでまた路頭に迷った。
けど、その路頭に迷っている時期に最初の書籍であるFireworksの解説書を執筆したことがきっかけで多くの雑誌の連載や、セミナーや講演会のスピーカー、さらにウェブ制作の仕事が増えてめちゃくちゃに忙しくなった。
で…どうにか負債も無くなってきたので「この勢いで東京に進出だ」と東京に来てみた。東京ではオリジナルDVDや素材集を作って優雅に暮らしていきたいという野望を持っていたのだが、これがうまくいかずに家中のすべての貯金を使い果たしてさらに借金までしてしまって再び困った。仕方ないのでフリーと平行して溜池山王の会社に雇っていただきインターネットキャンペーンのシステムのフロントエンドのサポートをしつつシステムインテグレーションの勉強して働き、通勤することが苦にならなくなった頃に、これからのウェブは個人で制作することは難しいことを痛感し中央区一番町のウェブ制作会社に雇っていただきプロデューサーになって毎日スーツを着て仕事をしたら、昔からの知人はそのスーツ姿にオドロイタらしい。
同時にさんざん世の中にFireworksを使ったテーブルレイアウトを推奨してきたくせに、2003年にCSSレイアウトに興味を持ち「これからはウェブスタンダードだ」と叫んでしまった。さらにアクセシビリティに興味を持ちアックゼロヨンというフォーラムを提案したら、それがとても大きな動きになって本人がびっくりした。アックゼロヨンで殆どのの運営をひとりで担当しアクセシビリティ普及に頑張ったことで多くの若きウェブ制作者と出会うことができたことで、ウェブをちゃんと作ることの深さを実感しそれがプロデューサーとしてのウェブサイト構築設計士としてリンクし、さらに情報デザインに興味を持ったタイミングで2005年からは多摩美術大学情報デザイン学科の非常勤講師を担当させてもらう機会に恵まれたことで情報設計の重要さを確信し、同時に教育に関わることで若い才能や熱意に触れることで元気をいっぱいもらった。
その後はアックゼロヨンを継続するには会社組織に所属していては難しいことに悩み、その結果2006年夏に会社を退職しスーツを着る生活を終わったのだが会社を辞めたことでまたまた収入的にはどん底になった。だけどそれでもアックゼロヨンを続けていきたかったことやウェブの未来を色々と考えてみた結果日本ウェブ協会の構想に着手した。
表彰式の翌日から日本ウェブ協会の設立準備室としてオフィスを貸してもらい、さらに多くの方々のご協力を得て2007年4月に協会を始動させ理事長になった。さらに5月には港区の制作会社に声をかけていただきプロデューサーとして再びウェブ制作の現場に戻った。
現在は協会の理事長と大学の先生と制作会社のプロデューサーという三足の草鞋を履きつつも共通しているのはウェブに携わる仕事をしていることで、それはけっこう公的な立場であったりもするけど森川眞行という個人の仕事や考えも発表したいので、このサイトをリニュアルしてさらにシリコンカフェとしてDVD制作をスタートさせたりして色々なことをやっております。最近は忙しさでぐるぐる巻きになっていて「おまえは何者だ」と聞かれるとうまく答えられないのですが、自分がやりたいことをずっと続けてることで、ここまで歩いてこれました…で、この先もずっと歩き続けてやっていこう…さらにできれば笑って毎日を過ごしていきたいと考えている森川眞行は2008年に50歳になります。
1メートル歩いてはつまずいて、5メートル歩いてはドブにはまり、10メートル走ると崖から落ちるような人生だな…と親しい友人は言いますが、それでも歩いてこれたのは多くの方々に多大なご迷惑とご心配をかけつつも支えていただいてきたおかげだと思っております。まじで。で…本人は人生これからだと思っているし、歩き続けていくことが今までご迷惑をおかけしていた方々に応えていくことだと思っております。とりあえず前向いて歩き続けていきますのでご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします。
2007年12月1日:森川眞行